先日、法律相談をしたお礼として湯呑み茶碗が届いた。たいそうな包装がされ、木箱に入っている。箱を開けると、島岡達三作の説明文(障子紙)の付いた湯呑み。聞けば、益子焼の大家で人間国宝の島岡氏という方のようである。
私は、この著名な、人間国宝、益子焼の大家である島岡達三のことを知らず、ありきたりのお礼状を出し、文字通りお茶を濁してしまった。猫に小判というやつである。茶器を知る者からは「なんでも鑑定団」に出品してはなどと揶揄された。
自分の浅薄皮相さに呆れると同時に、50年位前のことを思い出した。
大学生のころ、私は司法試験受験団体に所属し、〇〇委員長とか言う役職を仰せつかっていた。この受験団体は共同研究室と称して、15坪ほどの談話室とその奥の個々人の勉強部屋から構成されていた。その頃、その受験団体の長で、当時司法試験の神様と呼ばれていたM氏が受験の激励に談話室においでになった。私は、役目柄、テーブルを挟んで「神様」の真正面で、数十人の研究室員の最前列の真ん中付近に座ったのである。無意識のうちに私は足を組んでいた。すると、「神様」は、一頻り訓示を垂れた後、私に向かい、「歴代の〇〇委員長の中で一番教養のない委員長だ!」と叱咤とも冗談ともつかぬ一言を発したのである。先輩の前で足を組むとは何と失礼な振舞いだという訳である。私に対する個人攻撃ではなく、周りの者に対する教育的効果を狙ったものだったのだが。その後、しばらくの間、同僚から「教養のないやつだ」とからかわれたものである。
今回の湯呑み事件で、この歳まで、「教養のない〇〇」という人格は直っていないのだと改めて自覚した次第である。まだまだ、修行が足りないな、教養を身につけなければと思う今日このごろである。