11月11日、葉梨康弘法務大臣が死刑執行を巡る問題発言で辞任したという件に関し、私も地元紙の取材を受けましたが、若干の補足をしておきます。
一般国民の中にも、「死刑判決がなされた以上、法務大臣には裁量の余地なく、機械的に死刑執行命令を出すのが当然である、署名すること自体はなんの問題もないのではないか」「儀式をギャグにするから問題なのだ」と考えておられる方が結構おられるのではないか。そこで、署名自体に問題があるのだということを念のためお話ししたいと思います。なお、ここでは、死刑自体の存置論や廃止論を論ずるつもりはありません。
死刑判決が確定すると、法務大臣が死刑の執行を命じます。法務大臣は、原則として、死刑確定の日から6か月以内にこの命令をしなければならないとされています(刑事訴訟法475条2項)。この義務は、訓示規定(努力義務的なもの)か強制的な規定かについては争いがあります。かつて、長期間死刑執行命令書に署名をしなかった当時の江田五月法務大臣(元裁判官)は、国会において、「署名しないことは、命令義務違反であり、法の執行をしないことは閣僚としての職務怠慢、憲法73条違反ではないか」との追及を受けました(追及したのは、なんとあの河井克行元法務大臣でした)。これに対し、江田法務大臣は、「死刑という人の生命を絶つ極めて重大な刑罰の執行に関することであるため、6月以内に死刑執行がなされなくても違法となるものとは考えられない」という趣旨の答弁をしました。
このように歴代の法務大臣の間(署名しなかったのは江田大臣にとどまらない)でも、死刑執行命令書に署名するかどうかについては、見解が分かれています。少なくとも、ベルトコンベアに乗せるがごとく、なんの疑いを持たず機械的に死刑執行命令を出すことは許されないと考えます。