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事務局ブログ/長男の卒業式

昨日は、長男の高校の卒業式がありました。

前日までの春のような陽気が一転し、朝から降った冷たい雨が雪に変わるという悪天候に見舞われましたが、体育館の窓から見える雪景色は、後になって良い思い出として心に残ることでしょう。

 

最後の挨拶の中で先生が、「小・中学校の卒業式とは違い高校の卒業式では、保護者の方々は子供が離れていくということをより実感しているのではないかと思います。」とおっしゃいました。

その言葉を聞き、保護者の中には大きく頷く姿や、涙を流す姿が多く見られました。もちろん私も、その瞬間に涙を流した一人です。

 

卒業後、大学進学のため長男は家を出ることになります。引っ越しの準備や入学手続きなど、慌ただしい日々が続く中で、なんとなく物寂しさを感じています。

今更ながら、母親とはこんな気持ちになるものだと、複雑な思いを抱きながら過ごす毎日です。

 

卒業式が終わり子育ても一区切りがつきました。親としてサポートする場面が今後もあるかもしれませんが、長男の新たな人生の始まりを陰ながら見守ろうと思います。

法律コラム/グローバル犯罪?

先週、オリンピックメダリストが賭博罪で罰金の命令を受けたというニュースがありました。

インターネットの普及で海外の人々と容易に交流できるようになった一方、法律は国ごとにさまざまですので、同じwebサイトで一緒に賭け事をしていても、ある国の人にとっては犯罪となり、ある国の人にとっては犯罪でないということが起こりえます。

インターネットで海外のwebサイトにアクセスする場合、賭け事に限らず、運営する側にとっては合法的なサイトであっても、利用者にとっては犯罪になってしまうかもしれない、ということは気を付ける必要があります。

 

ところで、例えばラスベガスやマカオのカジノに実際に行って賭博をしても、処罰されるこという例は聞きません。これはなぜでしょうか。

法律的には、①国内犯に当たるかと、②国外犯処罰規定の二つの観点から見ていく必要があります。

 

刑法の第1条には、「この法律は、日本国内において罪を犯したすべての者に適用する。」と書かれていますので、まずは「日本国内において」というのがどういうことかが問題となります。

裁判所は、刑法などに書かれた犯罪の要件の一部でも日本で発生すれば「日本国内において罪を犯した」と言えると考えています。

例えばこんな事件があります。

Aが友人のB、妹のC、その愛人Dなどと共に台湾の台北に滞在していたところ、ある時DがBに対して覚醒剤が欲しいと頼んだ。Bは高雄から台北まで覚醒剤を買いにいくことにし、Aはこれに同行し、同中で覚醒剤を手にしたこともあった。

Bは台北でDに覚醒剤を手渡し、Dは覚醒剤を日本に輸入した。

この事例では、Aは台湾でしか覚醒剤に関わっておらず、一見すると「日本国内において罪を犯した」場合に当たらないように見えます。しかし、実際にこの覚醒剤が日本に輸入された以上、それを助けたAも「日本国内において罪を犯した」ものとして、国内犯として扱うことにしました。

また、こんな事件もあります。

貿易会社に勤めていたEは、ドイツ籍の船「ゴーベン号」に発火しやすい油紙を積み込んだが、積み荷の種類を運航業者に伝えなかった。船が香港沖に差し掛かったところ、油紙は発火し、火事が起きた

こちらは逆に、火事が起きたのはドイツ扱いの船内でした。この場合も、Eがミスをしたのが日本国内である以上、「日本国内において罪を犯した」ものとして、国内犯として扱われます。

このように、「日本国内において罪を犯した」とは、犯罪に当たる行為か結果の一部でも日本国内で発生していればよいので、かなり幅広く認められます。

このためもちろん、海外のwebサイトにアクセスして賭博をする行為も国内犯になりますが、一方で外国に行って賭博をする分には、「国内犯」とは認められることは考えにくいと言えます。

 

次に、刑法の2条から4条にかけて、外国で犯罪を行った場合でも処罰されるものが指定されています。例えば、日本人が放火や誘拐などの犯罪を外国で行った場合、日本でも処罰されることがありますし(3条)、日本人が外国で強盗や殺人などの被害に遭った場合、日本で処罰されることもあります(3条の2)。

しかしながら、賭博罪についてはこれらの条文に含まれていないので、国内犯でない限り、賭博罪として処罰されることはありません。

 

このようなルールによって、オンラインカジノは処罰され、実際に海外のカジノで賭博することは処罰されないということになります。

賭博したことに変わりはないじゃないかとも思われますが、最高裁判所としては賭博は

単なる偶然の事情に因り財物の獲得を僥倖せんと相争うがごときは、国民をして怠惰浪費の弊風を生ぜしめ、健康で文化的な社会の基礎を成す勤労の美風を害する

らしいので、要するに日本国内で賭博が流行らなければいいという立場なのかもしれません。

 

事務局ブログ/ランチの穴場

皆様ごきげんよう、ジムカタです。ここ数日、2月だというのに暖かな日が続きましたね。

そんな暖かな休日、久しぶりに栃木県立博物館へ行ってまいりました。

こちらは当ブログでも時折ご紹介していますが、広くて気持ちの良い公園の中にある博物館。当事務所からも近いこともあり、私の好きな場所の一つでもあります。

通常は企画展を観に行くことが多く、ブログでもそのことについて書いていたかもしれませんが、今回私が博物館を訪れた理由は昼食を取るためでした。

常設の屋内レストランと、日の当たる暖かな屋外にあるキッチンカー。どちらにしようか迷った末、久しぶりということもあり今回は常設レストランへ。こちらは博物館の観覧をせず別の入り口から入り、食事だけすることも出来ます。

少し遅い昼食時間だったためか、お客様はまばら。静かで過ごしやすい・・・。

定番のAランチか、変わり種のCランチかで悩むところ。

手作りハンバーグの美味しさが忘れられず、定番のAランチを選択。ソースの味と言い、焼き加減と言い、間違いない確かな美味しさ!更に言うと、添えられているポテトサラダもかなりの美味しさなのです。

窓から見える眺めも良く、実は密かに人気のお店。およそ40年前に開館した地方の博物館内という事情もあり、レトロ感は高めなものの、特に土日祝日の昼時は家族連れで混雑しがち。のんびり食事やお茶を楽しみたい方は、少し時間をずらして訪れることをお勧めします。

晴れた日は、遠くに男体山がきれいに見えます!

 

弁護士ブログ/生成AIと教育

学校教育には一つのパターンがある。年齢でまとめる。数十人単位でクラスにまとめる。学年ごと、科目ごとに教科書を与える。先生は、教科書に従って、クラスの全員に同じ進度で授業を進める。生徒各自が十分に理解したかは考慮されない。

なぜか。教育の効率化を図るためである。わが国では、明治時代から始まった制度である。

でも、生成AIが普及した場合、先生が教壇に立って授業を行う必要はなくなるかもしれない。質問に対し、普通に受け答えをしてくれる。カリキュラムに従って、授業をする、人間にはある間違いがない、疲れない。生徒の理解度に応じて、予習や復習をさせ、チューターとして柔軟な指導をすることができる。家庭教師より質が高いかもしれない。パソコンさえあればよい。そうなると、先生を生成AIに置き換えればよいということになる。算数なら計算はおろか応用問題もわかりやすく教えることができる。

漢字の読み書きも、文章の読解も正確に教えることができる。こうなると、何も同じ年齢の生徒を学校に集め学習させる必然性もなくなる。生徒は、自分の理解度に応じて生成AIを用いて学習すればよい。先生の授業にかかる負担もずいぶん軽減されるのではないか。

子供は家庭で育ち、学校に通って、社会生活で必要なことを学ぶ。社会生活に最低限必要なものは何か。①個人の尊重②人との役割分担と協力③公平で公正なルールに従うといったことである。

しかし、現実はどうか。先生が上、生徒は下の立場で集団の規律を押し付けられ、公平、公正に扱われていないのではないか、服装や髪形に関する校則で個人の尊重は軽視されているのではないか、同調圧力によって役割分担や協力もできにくくなってはいないか。

不登校や自殺、いじめの問題も一向に減らない現状で、すべてが生成AIで解決するなどとは言えないが、学校生活をストレスなく楽しく過ごすためには、生成AI と学校生活のハイブリット化が有益であることはほぼ間違いない。

生成AIが、行き詰った学校教育のゲームチェンジャーになれるか、見守りたい。

 

事務局ブログ/東武鉄道~SL大樹小江戸とちぎ~

立春を過ぎたとはいえ、まだ寒さの厳しい毎日が続いていますね。

この冬一番強い寒気の影響で、気温が平年よりかなり低くなるとのこと。体調の管理にも気を付けて過ごしたいです。

 

先月の25日に東武鉄道のSL大樹が「SL大樹小江戸とちぎ」として、栃木駅から下今市駅に向けて初めて特別運行されました。普段走らない区間にSLがやってくるということで、普段人通りの少ない沿線にはたくさんの地域住民の方が集まっていました。私も夫と見に行きました。

遠くから汽笛が聞こえてくると、近くにいた方が「汽笛を聴くだけでわくわくするよね。」と話しておりました。

 

長男が3歳のころ、真岡鉄道のSLに乗せたことがありました。SLが到着すると興奮して喜んでいたものの、乗った瞬間に降りたいと言い出しました。動き出したらもう次の駅まで下りられません。焦りましたし、親としては喜んでもらえると思っていたので非常に残念な思いを味わいました。

息子はSLが見えなくなってしまったことに腹を立てていたようです。見るだけで良かったとは…。

しかし家に帰ってからはずっとSLの真似をして「シュッ、シュッ、ポッポ、シュッ、シュッ、ポッポ、ポー」と言いながら部屋の中をぐるぐると走っていて、そんな様子が可愛らしかったなぁと時々思い出すものです。

当然今では、SLを見に行こうと誘ってもあっさりと断られてしまいますが。

今回のブログに載せようと、田舎の風景の中を走るSLを撮ろうと意気込んで出かけたのですが、走っているSLをうまく撮ることができず、吸水のために停車した新鹿沼駅で撮影した画像を載せることにしました。

息子たちの自転車を借りて出かけていたので、SLを追いかけながら川沿いの道を自転車でこぎ、久しぶりに自転車に乗る楽しみも味わえた休日でした。

 

昔の思い出を振り返るひとときが心を温めてくれることもありますね。

 

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